4-4: 謎の国粋戦争博物館?風雲文庫・熱海(静岡)

所在地:静岡県熱海市熱海1949

取材時期:2001年11月

ジャンル:展示系

珍スポ度: ☆☆☆☆(☆五個が最高得点)

コメント:熱海に、おどろおどろしい珍スポあり、という情報を得て、取材に行ってきました。軍歌が流れ、ヒットラーの遺品等(本物か?)が展示されている、という事前調査により、これはかなりの出物かと期待し、いざ出発。連休初日ということもあり、伊豆半島大渋滞で伊豆スカイラインに入るのに20分以上かかったのは初めてでした。玄岳(くろたけ、と読む)ICから海側に下ること約10分。アラカワさんのページにもあるように非常にわかりにくい入り口らしかったので、目をサラにして看板の発見に勤めました。すると右手に入り口発見。と、ところが、なんと入山禁止の立て札がぁ!残念ながら、こちらも水心堂同様に閉鎖されておりました。あまりに悔しいので、入山禁止と書いてある門の横をすり抜けて、ずんずん奥へ。落ち葉が堆積し、雑草が生い茂る山道を上ること5分。行き止まりにシャッターの降りた小屋を発見。展望用望遠鏡の残骸がうち捨てられているばかりの、なんとも寂しい光景が展開されているのみでありました。もちろん五重塔も見あたりません。むむむ、残念。

6-5:

取材時期:2002年7月

コメント:前回の取材では入り口を間違え、すでに閉館してしまったと勘違いをしていた事が、アラカワさんの指摘により発覚。再度取材を試みました。玄岳ICより海側へ下り、前回間違えた裏口を過ぎてもまだ入り口は見つからない。さんざん迷ったあげく、玄岳ICに戻ろうとしたその時、やっと見つけました。「風雲文庫←」の看板を!山から下る方向では恐らく見つけることが出来ないような位置に標識があるので、訪れる際は注意が必要です。

ということで、やっと念願の取材を開始。入り口の先にバイクを止め、門をくぐると、そこは閑静な日本庭園が広がる。きちんと整備されているというよりは森の中、といった風情。中程までゆくと、いかにもお袋さんといった女性が現れ、「見学ですか?」とのお言葉。1050円をその場で払い、まずは五重の塔から観てください、との指示。早速ブーツを脱ぎ、塔の内部へ進入。入り口には「戦争遺品!それは最良の教師である。」のコピー。いきなり強烈である。中に入ると旧日本軍の軍服やら鉄兜やら、昔の教科書やら、とにかく古いものがいっぱい。二階三階四階と、これでもかっ、と展示は続く。4階では塔の外側に出ることが出来て、海を見渡せる。さらに上の階は、その名も「夢殿」。なにやら祀られており、乗り切り観音などがあったりする。お願い事がある方は是非どうぞ。

さて、塔を降りてきて、次は展示室の方へ行ってみた。件のお袋さんが入り口で案内してくれる。ロビーは熱海市街・駿河湾・真鶴半島がガラス張りの向こうに一望できる絶景。その地下にお宝は眠っていた。ここからは撮影禁止。むむ残念。そこにはヒトラー・スターリンらの遺品が所狭しと並べられている。特にヒトラー関連グッズの多さには驚く。本物かどうかはさておき、この場の重さはいったい何だろう。比較的低音量でベートーベンの5番などがBGMとして流れているのも、かなり不気味。じっくり鑑賞させていただきました。

たっぷり30分以上かけて見学した後、先ほどのロビーへ戻る。と、お袋さんが桜茶を出してくれた。ホッと一息し、風雲文庫についてや、ロビーからの景色など、お話をしてきました。やはり、風雲文庫は個人の展示資料館だけあって非常に個性的です。埼玉の平和記念館などは、こう無難なまとめ方でしたが、こちらは違う。館主の書いたキャッチコピーが黒字の板に白抜きで書いてあり、どれも強烈。みなさんも是非一度行ってみてください。最良の教師かどうかは、ご自分で判断してください。

アラカワさんのレポート

30-4:

取材時期:2005年10月

コメント:折角熱海まで来たのだから、強烈な博物館に寄ってから帰ろう!とまた来てしまいました風雲文庫。しかしこの資料館は本当に謎に満ちたスポットである。いくらネット上を探しても、珍スポ関連本を調査しても全く創設者の情報が出てこない。文庫を一人で切り盛りする割烹着姿のおばちゃんにそれとなく尋ねても、何だか分かったような分からないような答えが返ってくるだけであった。今回の取材で、その片鱗でも掴めればと思い、再訪してみたのだ。

熱海城から山を登ること約10分、今回は迷わず到着した。入り口門をくぐると3年前と全く変わらない中庭を抜け、五重塔前にたどり着く。これもまた前回と同じ割烹着姿のおばちゃんが、フッと現れ「見学ですか?1050円になります・・・」。どうやって来客を検知するのかは不明であるが、一日に数人訪れれば良いと思われるこの文庫で、何らかの自動認識機構がないとすると、おばちゃんの勘は鋭すぎないかい?まずは五重塔から見学しろ!との指示も前回と全く一緒。いざ塔入り口へ向かう。ブーツを脱ぎ、スリッパに履き替え塔一階より探索開始。正面にいきなり戦車兵服であろうか、顔無しマネキンのお出迎え。その奥には出征兵士を送る垂れ幕に大観直筆?の色紙。終戦時の玉音放送時の写真なども掲げてある。一階入り口はほんの2・3畳の狭い空間なのであるが、なんだこの重苦しくも濃~い雰囲気は?

まずは五重塔から見学しろ!との指示も前回と全く一緒。いざ塔入り口へ向かう。ブーツを脱ぎ、スリッパに履き替え塔一階より探索開始。正面にいきなり戦車兵服であろうか、顔無しマネキンのお出迎え。その奥には出征兵士を送る垂れ幕に大観直筆?の色紙。終戦時の玉音放送時の写真なども掲げてある。一階入り口はほんの2・3畳の狭い空間なのであるが、なんだこの重苦しくも濃~い雰囲気は?

直ぐ二階へと続く階段を登るがここにも所狭しと並ぶ軍服および戦争グッズ達。二階正面には何やら不気味な祠があり、「種の掟 蜀魂堂」との表示なので、何かなぁ~っと除くと、ウゲッ、生首があるではないか(当然作り物ですが)!なんじゃこりゃ、と周りを見渡すと、憲兵マント・迫撃砲・軍用水筒などがゴロゴロしている。祠右手には黒板にチョークでかなり勇ましい内容の軍歌(でしょうね)が書き込まれていたり、十二単を身にまとった昔美人の特大書き割りが唐突に立てかけてあったりで楽しませてくれる。また一番奥のコーナーは、なぜか三島由紀夫スペースになっており、これまたなぜかトラの皮の横に三十八式歩兵銃の銃身のみ(朽ちかけている)が展示されていたりもする。さらに上階に進むと、今度は部屋の真ん中に応接セット。で、正面には戦艦大和の巨大模型。その横にはZ旗。帝国海軍が戦意高揚に使った旗、といった解説があったように記憶している。

さてお次は戦時中の民具の数々。戦前の教科書もあり、「自然の法則 それは強く深く児童の脳裏に叩き込まねばならぬ」というスローガンとともに展示してあるので、今の教育関係者およびPTAの役員さん達から総反発を喰らいそう。当時の新聞なども掲示されているので、じっくり読んでいたら半日はかかりそうな物量だ。さて最上階にたどり着くが、まずは階段を上がって正面にいらっしゃる「乗り切り観音」さんとご対~面。苦しい場面を乗り切るために、色々な人が願かけのお札を結びつけた輪っかがちょっと不気味。その右手巨大ショウケース内部がこの階のメインイベント。中には逆卍か鉄十字かちょっと微妙な記章が据えられ、手前には日本書紀や古事記などの書物。うーん、なんと表現したら良いのかよく分からないが、一種独特の雰囲気を醸し出している。

ふ~う、と階段を降りつつ前回の訪問時を振り返ると内容的には殆ど変化なかったようだ。後でおばちゃんに確認したのだが、「昔は展示換えもやっていたんだけれど、今は全くやってませんよ」との事。しかし、何度来ても強烈スポットであることは間違いないのだ。さて、母屋に戻ってくるとおばちゃんが待ちかまえており、次はヒーローの間ですよ、と案内してくれた。そうそう、ここはヒットラーの遺品目白押しなんだよな~、と思い出した。残念ながらこのヒーローの間は全面撮影禁止。仕方ないので入り口だけ撮影しいざ階段を降り、ヒーローの間へ突撃!

総統の肖像画に始まり、あの「我が闘争」を執筆したタイプライターがショウケースに収まっている。これは那智じゃなかったナチフェチには堪らない品物がごっそり。実際にヒトラーが使っていたテーブルやら帽子やら、ほんまかいな?と思わせるグッズ目白押しで、これが全て本物であるとは、にわかには信じがたいのである。この文庫の館長にしてみれば、総統は完璧なヒーローだったようだ。これらグッズを蒐集するのにどれだけお金が必要だったのだろう(全部が本物でないにしても・・)。また、こんな文庫を熱海の絶景ポイントに建設し、しかも維持管理して行くだけでも相当な費用がかかるはずだ。日に数人の客から各1050円ぽっちの入館料を巻き上げても、電気代にすらならないのでは?超金持ちの道楽か、はたまた謎の極右秘密結社(秘密結社はいつだって謎なのであるが・・)が運営する強烈博物館か?そんなことをツラツラと考えつつ、地下ヒーローの間を静かに巡回するニカではあったのだ。

総統グッズがコレクションの中核をなしているが、その他にもマッカーサー物やムッソリーニ・スターリン関連グッズなどもあり、守備範囲は結構広い。まあ、ナショナリズム高揚の場と考えると先の五重塔内の収集品などからみて、納得が行くマニアック文庫であるな、との結論にたどり着き、ヒーローの間を後にしたのであった。重苦しい空気の漂う地下ヒーローの間から階段を上がると、そこは先ほどの母屋ロビー。窓からは熱海と駿河湾の絶景が楽しめる様になっている。前回は桜茶であったが今回はコーヒーを出していただきました。何度来ても謎の解けないスポットなのであった・・。

補)2024年末、サイトリニューアルにあたり当時のネガフィルムを探していたのだが、どうしても見つからず諦めかけていたところ、スキャンデータが残っていたのを発見。写真データをより解像度の高い物にして2025年2月にリニューアルしてみた。その際、ウェブ調査も行ったのであるが、2022年の訪問記録が最新のものであり、それ以降のものは見当たらない。グーグルマップ上の情報も「臨時休館中」のままである。一般公開は止めてしまったのであろうか。残念である。

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